こじまさんぽの「ストーリー」「織物」「ものづくり」です

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織物織物

  1章:世界有数の職人技

1章:世界有数の職人技
ここ児島の歴史は干拓の歴史である。岡山県南の干拓地では、塩分に強く、換金率が高いうえに貢租率の低い棉が植えられていた。19世紀前半には児島半島の北に広がる妹尾~早島~茶屋町~倉敷~玉島や興除~福田などの備前の新田地帯では高い棉作率を示していた。これらの棉作地帯に隣接した児島半島は、土地面積が狭い割に人口は多く耕地が少なかったため、人々は農業生産だけに頼らず綿を用いた内職で生活を支えた。綿を加工して糸をつくり、その糸を太く撚り、さらに機織りして紐や布などの製品をつくった。いわゆる「児島機業地」の発生である。
その後、迦大権現の繁昌により、児島の繊維工業ははなやかに世間にデビューすることとなる。土産物として、小倉帯・真田紐・袴地などが、全国各地から訪れる参詣客に喜ばれた。「瑜迦へ参ったら、金刀毘羅へ参れ。片方参りはせぬように」と言われた、この「ゆが・こんぴら 両参り」は江戸時代から明治にかけて特に盛んだったという。「児島の屋根」由加山の瑜迦大権現、宣伝上手とあって中々繁昌したようだ。

世界有数の職人技明治15年、下村紡績が開業。続いて明治28年、山陽紡績味野工場(後に敷島紡績味野工場)開業と紡績会社が相次いで創業し、繊維の街「児島」が名実ともに輝いた。

やがて紡績会社が姿を消し、機屋の数が激減した今でもここ児島には、全国いや世界に誇る技術を有する会社が息づいている。

MADE IN JAPAN へこだわる(株)ショーワと特殊織物のリーディングカンパニー明大株式会社、この2社は織物業界の世界的パイオニア。数少なくなってしまったとはいえ「児島の機屋さんはものすごい」と言わしめる。

世界有数の職人技質というのはなかなか素人にはわかりにくいもので、取材で最も苦労するところなのだが、実際に目にして、触れてみると「素人にも伝わってくるその品質」そんな製品に驚きを隠せない。

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