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  1章:観光スポット

1章:観光スポット
岡山に端を発し児島下津井に至る往来は金毘羅大権現参詣のための重要な街道で、俗に四国街道とも呼ばれていた。
毘羅大権現は江戸中期以降、船の守り神として海上生活者の絶大な信仰をあつめると共に、その霊験のあらたかさ故に全国各地より庶民の参拝が絶えなかった。そのため大阪をはじめ瀬戸内海をへだてた対岸各地より金毘羅への入口の丸亀や多度津の港に向け参詣のための船が毎日出された。これがいわゆる「金毘羅船」である。下津井と並んで下村、田の口の港も賑わった。今でも田の口港のある備前焼の鳥居と狛犬がその名残をみせている。このように四国渡場として賑わった三港も明治43年(1910)国鉄宇野線の開通でその役目を託すこととなった。しかし、瀬戸大橋架橋によって再び脚光をあびている。「近い」ということと「島が多くて安全」というかつての金毘羅往来の特質が、架橋の上にも必要条件として要求されたからである。そして、瀬戸大橋は昭和63年(1988)4月10日下津井・坂出間に開通し陸運の新たな時代を迎えた。
着工から9年と6ヶ月、20世紀最高水準の技術として投入して構築された瀬戸大橋。今日も多島美の備讃瀬戸を、自動車が、列車が走ってゆく。

観光スポット1931年、自然公園法の前身である国立公園法が施行され、1934年3月16日に3か所が最初の指定を受けた。雲仙、霧島とともに日本で最初の国立公園となったのが『瀬戸内海国立公園』である。
瀬戸内海国立公園の最大の特色は、大小1,000あまりに及ぶ島々で形成された内海多島海景観。また、瀬戸内海一帯は古くから人と自然が共存してきた地域であり、島々の段々畑や古い港町の家並などの人文景観が特徴となっている。
そして、ここ児島には5つの国立公園指定区域がある。ぜひ訪ねてみてほしい。

 

鷲羽山

児島半島最南端に位置する鷲羽山(標高133メートル)は、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地の一つ。下津井鷲羽山として公園設置当初から国の名勝に指定されている。鷲が羽を広げたように瀬戸内海に突き出た姿が名前の由来。潮風による花崗岩の著しい風化がもたらしたこの自然の造形美は、江戸時代から天下の絶景としてもてはやされてきた。その歴史ある景観も1988年の瀬戸大橋の開通によって新たな時代をすすむこととなった。
頂上『鐘秀峰(しょうしゅうほう)』からは瀬戸内の多島美と、瀬戸大橋を見渡すことができる。ここの夕陽は、瀬戸大橋という偉大なる人工美と島々が点在する瀬戸内海の自然美の調和の中に現れる。その美しさは格別で、「日本の夕陽百選」に選定されており、橋と車と列車とが徐々に夕陽色に包まれていく光景は、なぜか懐かしい思いがわいてくるようだ。
鷲羽山の周辺には散策を楽しめる名所が数多くある。瀬戸大橋架橋記念館(現在は児島市民交流センター)・荻野美術館の他、巨岩・奇岩が重なる山容の景勝地「王子が岳」、六口島(むくちじま)西岸には国指定天然記念物の象岩(ぞういわ)など爽やかな風やさざめく波の音、緑の薫りを感じながら過ごす休日は至福のひと時だ。

 

旧野﨑家住宅

国の重要文化財で、日本の塩田王と呼ばれた野﨑武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永に築いた山陽道の代表的民家。本瓦葺の母屋群・土蔵・枯山水式庭園が創建のままで保存されている。敷地面積3,000坪・建物面積1,000坪、塩づくりに関する歴史的な資料の展示や塩づくり体験も行われている。
ジーンズストリートで結ぶ先には、野﨑武左衛門の記念碑がある。明治27年に塩田王「野﨑武左衛門」の功徳を偲ぶ人々により建立された。塔身は11.79m全長18.23mで個人の顕彰碑としては日本一といわれている。碑の石材は六口島 六の谷から採石された1本物の花崗岩で出来ていて、不測の事態を考え予備の石材も庭園内に置かれている

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