学生服
1章:教育を重んじるDNA
週5日×?年間をともにする服
「全国7割」という驚くべき生産量を誇る児島の学生服。
綿花にはじまる児島の繊維史の中で、伝統と革新を繰り返しながら、高い技術を育んできた。
学生服なくして児島は語れない。学生服業界の年2回の繁忙期(夏服・冬服)、児島は一丸となって全国各地の学生の笑顔のためにフル稼働。
新しい制服に袖を通してはにかんだ集合写真を覚えているだろうか?
あなたの制服も児島産、Made in Kojimaだったかもしれない。
そして、これからも日本の未来を育んでゆく。
「全国7割」という驚くべき生産量を誇る児島の学生服。
綿花にはじまる児島の繊維史の中で、伝統と革新を繰り返しながら、高い技術を育んできた。
学生服なくして児島は語れない。学生服業界の年2回の繁忙期(夏服・冬服)、児島は一丸となって全国各地の学生の笑顔のためにフル稼働。
新しい制服に袖を通してはにかんだ集合写真を覚えているだろうか?
あなたの制服も児島産、Made in Kojimaだったかもしれない。
そして、これからも日本の未来を育んでゆく。
旧閑谷学校をご存知だろうか。江戸時代(1670年)、岡山県備前市に日本最古の庶民学校として築かれたものだ。儒教に影響をうけた岡山藩主池田光政公が士庶共学を目的に開いた学校で、藩営としては日本最古の庶民教育のための学校であり、石塀内の各建造物、構造物のほか学校全域が国の特別史跡に指定されている。特に備前焼の赤瓦が美しい旧閑谷学校講堂は全国唯一の国宝学校建築物である。武士による厳しい民衆支配が行われていた頃、士農工商の身分制度が厳しかった江戸時代中期において、武士だけではなく農民など庶民をはじめ、なんと他藩の者に対しても門戸を開いた。当時としては信じられないほどに先進的な教育機関だった。この閑谷学校の名声は古くから天下に聞こえており、かの有名な高山彦九郎、菅茶山、頼山陽、大塩平八郎、横井小楠などの学者文人も来遊したという。
「後世までも廃れさす事の無い」ように。子孫代々まで残るよう、建物自体堅牢にこだわりぬかれたことはもちろん、財政的にも学校領を設けて独立させ、藩の財政が傾いても閉鎖されないよう図られるなど、ソフト・ハード両面でさまざまな工夫が施された。光政のこの想いは今も受け継がれている。昭和に入って学校としての役割は他校に統合されたものの、約340年という長い歳月を経た今もなお、磨き抜かれた講堂には子どもたちの論語誦読の声が響いている。
このように、岡山は先進的で優れた教育の歴史をもつ。そしてこの岡山藩のDNAは児島にも色濃く受け継がれている。学生服のまち、児島。ここでは、全国の7割もの学生服を生産している。